アートクロム  
カンパニー
フォトワークス
オフィスデザイン
ギャラリー
リクルート
コンタクト
ギャラリー
 
 
 

メコンデルタのミトーに存在していた椰子の実教団

Dao Dua / ダァオ ズゥア / 椰子教

この地を訪ねたのは1973年の4月、熱帯気候の雨期を迎えようとしていた。

その謎めいた宗教施設は当時、サイゴンから悪路の国道1号線を車で3時間あまり、 メコンデルタの入口の町、ミトー市街の対岸に位置する中洲のフーン島(Con Phung)に存在していた。

Daoは宗教、Duaは椰子を意味し、通称ココナッツ教と呼ばれていた。

その日は奇才と噂される教祖のグェン・タィン・ナム氏(Nguyen Thanh Nam)がテレパシーを駆使し、宇宙と交信するという、奇々怪々な行事に信者のみならず、一般の見物客も訪れていた。 私もその中の一人だった。

教祖のナム氏は1909年ミトー近郊の裕福な家庭に生まれた。1928年フランスに留学し、さまざまな経験を経て1945年ベトナムに帰国。その後、1964年に仏教、道教、儒教、キリスト教、イスラム教、カオダイ教などを礎にした混合宗教のココナッツ教を興す。

教祖のちんまりと座する容姿から受ける印象は、新興宗教に有りがちな威圧感など全くなく、人なつっこいクリクリとした目が優しそうな表情に愛嬌を添えていた。

ココナッツ教の願望とはベトナム民族の平和であり、それは南北ベトナムの統一であった。そして、その根底には世界平和という悲願も秘められていた。

そのためか敷地の水際には三層から成る鋼鉄製の船が建造中であり、 この新船が完成した暁には、世界中を航海し布教活動を行なおうとしているのであった。教祖が鎮座する前方に置かれた、船の略図らしきスケッチと、 その左側には大きなさい銭箱がちゃっかり置かれていた。

だが、素人目にもその布教船は決して動くようには見えなかった。万が一動いたとしても南シナ海どころか、きっとメコン河の波間に没するだろうと思った!

教団の戒律として、教祖に至っては椰子のジュースと果肉しか口にせず、就床時も横になって寝ない。また、私の知る限り会話はおろか、言葉を発することも無かった。まさかテレパシーを使って相手の心を読み取っているのか・・・!
さらに、珍妙なのが頭髪は伸ばし放題、老齢な信者ほどその長い髪は個性豊かに 器用に結いあげられていた。 中には近寄るとムンムンと臭ってきそうな信者もいた!

敷地内の宗教施設は派手な装飾が随所に施され、トーテムポール風な柱には色鮮やかな龍が巻き付き、てっぺんには蓮の花の飾りが据えられている。また、教祖が宇宙と交信するためのテレパシー増幅用アンテナと称する不可解なものも設けられていた。施設一帯は独特な世界観に包まれていた。

多くの信者たちが礼拝に勤める一方、当時はベトナム戦争中であり、広いメコンデルタには解放戦線の拠点が点在し、それらと内通しているのではないか、 また南ベトナム軍の脱走兵をかくまっているとの理由で、反体制運動の教団として政府に監視されていた。

そんな中、教団の念願であった平和への思いは1975年サイゴン解放の翌年、1976年に南北ベトナム統一を迎えることで達成され、教祖はじめ信者たちは心から安堵したことであろう。

しかしながら、1990年に教祖の不慮の死により教団は解消することとなった。

ココナッツ教団とは滔々と流れる大河メコンを揺りかごに、平和を祈りつつ激動の時代を生きていた。

 
     
     
     
      当時、この中洲はフェニックス島(フーン島の英訳)とも呼ばれていた。
 
      今回はココナッツ教団と共存していた島民の日常の風景も合わせて掲載しています。  
       
     
     
 
   
フォトギャラリーへ
   
   
   
   
TOPへ
   
   
   
会社案内   フォト・ワークス   オフィス・デザイン   ギャラリー   リクルート   問合せ   プライバシーポリシー
   
Copyright(C) 2011 ART-CROM Co.,LTD. All Rights Reserved